「がんけ」には、家宝として「水戸黄門 (実際は光圀の父、頼房)」のわらじが 残 されています。
口伝によると「頼房が鹿島神宮の楼門を寄進した際、 わらじを取り替 えるためにがんけに立ち寄り
この時 はき捨てた物を贈った。」とのことです。
*神宮日誌によると、1648年11月10日に、水戸頼房(1603年―1661年)が、神宮 を参拝したとの
記録が残されています。

家 宝 黄門様のわらじ

ダラダラと続く参道を登りきった崖の上に「がんけ」は建っていました。
汗を拭きながら歩いてきた参拝客は、旅館の石垣を見て
ほっと一息ついたことでしょう。

「がけ」を意味する「がんけ」がいつの間にか

本名の「境屋旅館」を押しのけて屋号になりました

屋号の由来

昭和22年正月頃のがんけ

昭和46年頃までのがんけ