月下の、『切ない系』 検証。
”切ないっていうのは、どういうことなんだろう?” ・・・・ふと、そんな事を思った。
ものすご〜〜く流行に関係なく生きている月下にはよく分からないが、世間は 『切ないものブーム』 みたいなことになっているらしい。『切ない系』 なんて言葉まである。切ない映画がヒットしたのも、記憶に新しい。
『世界の中心で愛を叫ぶ』 『四日間の奇跡』 『いま、会いにゆきます』 ・・・・などなど。どれも、切なさが受けてヒットした映画だ。
・・・・だからぁ、”切ない” ってどういうことなんだ?
ん〜〜・・・・ん〜〜・・・・( ̄-  ̄ ) ンー セツナイ、セツナイ・・・・
つらつらと考えていて、ふと気付いた事がある。
例えば、上記の3本の映画に関して言えば、そこに描かれているのは、愛する人のそばにいたり、失われたはずのものが再び戻ってきたりする、幸せな時間だ。しかしそれはあくまでも、限られた時間の中でだけ許された幸せであって、永遠に続くものではないということを、誰もが知っている・・・・という状況なわけで。
『世界の中心で愛を叫ぶ』 なら彼女が生きている間だけ、『四日間の奇跡』 なら4日間だけ、『いま、会いにゆきます』 なら、雨の季節だけ・・・・というように。
つまりそれは、刹那的な幸せなのだ。
握り締めた掌から零れ落ちる砂のように、それは確実に失われ、確実に損なわれていく、そういう種類の幸せなのだ。そして、刹那的であるがゆえに、それはひときわ輝き、ひときわ輝くからこそ、喪失にはより深い痛みを伴う。
・・・・そうか。 切なさというのは、喪失感と緊密に結びついた感情なのかもしれない。そして、喪失へのプロセスを明確にするために、期間限定の幸せを描く。有と無の対比だ。なるほどね。うんうん。
しかし、それが確実に失われていく幸せだと知ってはいても、きっと人は、その幸せに手を伸ばしてしまうのだ。そう。誰もが。・・・・つまり、切ないというのは、共有しやすい感情なんだな、たぶん。
・・・・そして、映画はヒットする。なるほどね。うんうん。
ふぅ〜〜ん・・・・なんとなく、わかったような気がする。いや、わかったような気になっているだけで、ほんとは全然違うかもしれないなぁ〜・・・・なんて思いつつ、それでもこうやって文章にしてみると、なんだか、あながち間違ってもいないような気もしてくるから、不思議だ。 まぁ、全てではないにしても、月下が検証した ”切なさ” というものも、”切なさ” の一面ではあるような気がします。いかがなもんでしょう?
ちなみに私、こんなこと書いてますけど、切ない系・・・・大っ好きですから。
( ̄∇ ̄;) ハッハッハ…
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