月下、火葬場で食物連鎖について考える。





知人に不幸があった。喪服を着て、葬儀に出かけた。
火葬場で、いつのまにかすっかり秋らしくなった窓の外をぼんやりと眺めながらあれこれと思いを巡らす。


人が死ぬ。遺体は火葬場で焼かれて、骨になり、その骨は骨壷に収められて、墓石の下で眠りにつく。


”そうか・・・・人は死んでも土に還らないんだ。”


これはちょっとした発見だ。
生きとし生けるものは、死して土に還る。なんとなくそんなふうに思っていたが、実際のところそうではないのだ。


死して還元すべきものを持たない・・・・これは、どういうことか??
これはつまり、人間が、食物連鎖から切り離された生き物だということなのではなかろうか?


食物連鎖から切り離されたことで、人間は自分達の食するものを、自分達で生産するようになったのか?いや、食料を自分達で生産するようになったからこそ、食物連鎖から切り離されていったのか??


タマゴが先か?ニワトリが先か?


いずれにしても、死してなお、土に還らない人間という生き物は、ずいぶんと自然の摂理というものからかけ離れたところに、自分達の生きる場所を築いてしまったように思われる。


もちろん、世界は広い。そして、おそらくは様々な埋葬方法があるであろう。幸いにして、きちんと土に還る人々も、いるかもしれない。


しかし、少なくとも私は、多分、土に還ることはないのだ。ヒマヤラあたりで遭難でもしない限り。


私はそんなことを、とりとめもなく考えている。
思考の糸先は何処へも辿り着かないまま、私のアタマの中で静かに白い渦を巻いている。


一筋の雲が、ゆるゆると流れていく。
曼珠沙華の花が揺れている。


ある秋の日の、午後のこと。