知り合いでは・・・・スナフキンだけですね。
うちの姑は、月下の悪口を綿々と書き連ねた手紙を月下の実家に送りつけ、関係者各位の度肝を抜いたりする猛者です(笑)。
まぁ、それはいいんですが(ちっともよくねーよ)、月下が 『ん?』 と思ったのは、その手紙に書かれた、『私は、自由に生きて行きたい・・・・』 というくだりでして。
自由に生きる・・・・なんとなく聞こえは良いですが、それが、誰からも干渉されずに、何事にも束縛されずに生きることを意味しているのなら、それは非常にリスキーで孤独な生き方だと、月下は思っています。
自分が心身共に健やかで、金銭的にも困窮していない時には、確かに魅力的な生き方かもしれませんよ。でも、人間そんな良い時ばかりではないじゃないですか?病気にもなるだろうし、貧乏することだってあるかもしれない。
そんな時に励ましてくれたり、助けてくれたりするのが、家族だったり友達だったりするわけですよね。家族も友達も、そりゃぁ時には面倒臭いことも、煩わしいこともありますよ。でもね、それでもやっぱり、いざという時には、お互いに支えあうことが出来るからこそ、かけがえのない存在なのだ・・・・と、月下は思っています。
そして、『自由に生きる』 ということは、煩わしい人間関係と共に、そういう一切合財をも排除するということなのだと思うのです。
つまり、人生のどんな局面も、ひとりで乗り越えていく決意があって初めて、人は本当の意味で 『自由に生きる』 ことを許されるのだと思うのです。だから、自由に生きるということは、非常に孤独で、崇高な生き方であり、だからこそ憧れもするけれど、到底実践できない生き方なのだと思います。ちなみに、月下の知り合いで、本当に自由に生きているのは・・・・スナフキンくらいですね。 ヾ(ー ー )ォィォィ…
『普段は自由に生きていて、困った時には誰かの力を借りればいい』 ・・・・そんなのは 『好き勝手』 というのであって、『自由』 とは言わない。
・・・・そういうことです。
自由な生き方に憧れるのは勝手ですが、姑もそろそろ70歳ですからね。そんなアホなことばかり言ってないで、もう少し謙虚な気持ちで、周囲の人間と上手く調和しながら生きていかないと、ほんと、マズイと思うんですけど、なんかそういうことは分からないみたいですね。
でも、余計なことを言って、また実家にお手紙が行っちゃうといけないので(笑)、言わないんだけどさ〜〜♪ ( ̄ー ̄) ニヤリ…
それにしてもねぇ〜・・・・『私は自由に生きて行きたい』 って、フツーは言わないよ。今時、おケツの真っ青な中学生だって言わないよ(いや、別に中学生のおケツを見たわけではありません、念の為)。
ちょっと、声に出して言ってみなよ。『私は自由に生きて行きたい』 ・・・・超恥ずかしくね?うわぁ〜、小っ恥ずかしい。イタイよぉ〜〜、イタイよぉ〜〜・・・ (T-T ) うぅ…
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