悪魔の手なずけ方。





月下の中には、悪魔が棲みついている。


こらこら、化け物を見るような顔をするな。
別に私の中にだけじゃない。誰の中にも、悪魔のひとりふたり(あるいは1匹2匹)棲みついているものだ。そして私は、私の中の悪魔の存在を、わりと日常的に意識しながら生活している。


(ここまで読んで、”コイツはちょっと壊れてるな”と思った人、大丈夫です。御心配なく。)


基本的に、私はヤツらと肩を並べて生活している。そうするように、心掛けている。しかし、何かの拍子にその存在を黙殺しようとした瞬間、ヤツらに足元をすくわれる。いつだってそうだ。間違いない。私は本能的にそのことを知っていたものか、あるいは経験から学習したものかは判然としないが、とにかくそういうものだ。


だから私は、ヤツらを決して蔑ろ(ないがしろ)にしない。好むと好まざるとにかかわらず、ヤツらは私の中に棲みついているし、棲みついている以上、私の一部だ。蔑ろにすることさえなければ、ヤツらは、意味もなく私を中傷したり、嘲ったりはしない。私はヤツらと共生していくことができるし、それは、決して不愉快なことではない。


そんなふうにして、月下の中には、悪魔が棲みついている。


みんなの中に棲みついている悪魔は、どんな悪魔ですか?
最近、ヤツらに足元すくわれて、痛い目に遭ったりしませんでしたか?


ちょっと、思い出してみて・・・・




■オマケ■
まだ教会がその勢力を振るっていた時代、悪魔というものは人間にとって外在的な存在として認識されていた。しかし、やがて教会の勢力が衰えを見せ始める18世紀ごろから、それは内在的な存在へと変貌を遂げて行くこととなる。

このことが何を表しているのか?  さぁね。わっかりませーん。自分で考えましょう。

とりあえず、ひとつの事実として。