霊的存在に関する月下の考察。





ユーレイを信じますか?・・・・って言うと、なんとなくリアリティがないんだけど。


「んなもん、いるわけないじゃん。」という人もいれば、「そりゃぁいますよ。私見えるもん・・・・」という人まで、いろいろだとは思うのですが、まぁ、今回はそういうお話。


霊的存在を信じるか?信じないか?と聞かれると、月下はちょっと困ってしまいます。月下の感覚においてそれは、信じるか?信じないか?というより、『在るんだろうな』 と感じるものなのです。


それって、信じてるってことじゃないの?


・・・いやいや、信じてるのとは、違うんです。信じてるっていうのは、むしろ積極的に肯定する立場ですよね。わたしは別に、積極的に肯定はしません。かといって、否定もしません。フラットな状態です。


それじゃぁ、どうして 『在るんだろうな』 なの?


例えば、何か良くないことが起きますよね。それも立て続けに起きる。家が火事になる。お父さんが病気になる。子供がグレる。泥棒に入られる。
そして、思うわけです。「何か悪いモノが憑いているんじゃないだろうか?」 「御払いをしてもらったほうが、いいんじゃないか?」


そこで、何某霊能力者の人に相談しますわな。
すると、「あ〜〜、庭に古い井戸がありますね」とか、「御先祖の供養を怠っていますね」とか、「以前、この辺の土地には墓地があって・・・・」とか、たぶんそういうお話になるわけです。


そんなこんなで、家族揃って御払いをしてもらいます(グレちゃったお兄ちゃんも、どうにか宥めて一緒に連れて行きました)。それで、安心するわけです。「これでもう、悪いことは起こらないんだ。これからは、きっといろんなことが上手くいくんだ。」


・・・・そういうことなのです。


「何か悪いモノが憑いているんじゃないだろうか?」
たとえばそう思った瞬間に、それは私達の心の中に生まれ、不安を抱えながら生活することで、さらに悪いことが重なるのだと、月下は思います。


つまり、霊的存在というものは、外在的なものとして信じる、信じないというより、むしろ内在的なものとして、誰の中にも 『在る』 負のエネルギーのようなものではないかと思うのです。


だから、”霊って本当にいるのか?” ”霊を信じるか?” ということはともかく、”もしかしたら・・・?” と気になった時には、御払いをするなり、御清めをするなりして、下向きな気持ちを上向きに切り替えることが、大事なんだと思うのです。


そして、そういったことで思い乱れることなく過ごすことが出来れば、それは、その人が健やかである証のように思います。


・・・・と、まぁ、ちょっと思うところあって、こんな話を書いてみました。


でも、世の中にはソレが 『見える』 人もいるわけですよね。すごいですね。『見える』っていうのは、どんな感じなんでしょうね。私は見事なまでに霊感ゼロの、脳天気な人種なので、見当もつきません。


『見える』 とか 『感じる』 という能力を持ち合わせた人にしてみれば、「いやいや、そうじゃなくて、そこにいるから・・・・」っていう話なんでしょうが、なにしろ見えない人間にとって、それはなんとも理解しがたい。


というわけで、月下は、『見えない人代表』 として、このような意見を述べさせていただきました。まぁ、ひとつの考え方として。


御清聴頂き、ありがとうございました。


(拍手)