ただしそれは、必ずしも最優先であるとは限らない。





息子は先日、小学校を卒業しまして・・・・ということは卒業式なるものがあったわけですが、ここでちょっと盛り上がったのが 『卒業式に何を着て出席するか?』 という話題であります。いや、保護者じゃなくて、子供よ、子供。子供の着るものね。


学校側の話によれば、『基本的には何でもよい』 とのこと。ほーほー。


例年、中学の学生服を着せる家庭が多いんですよね。そこで飛び出してくる、『小学校の卒業式であって、中学の入学式ではないんだから、それも如何なものか?』 という意見ももっともなわけですが、まぁ、とにかく学生服着用が、多い。
息子も当初はそのつもりだったようなのですが、これには月下の ”ちょっと待った!” がかかったわけで。


・・・・というのも、息子は私立進学組だったわけですが、同期生の中には、受験に失敗してる仲間もいるわけですな、残念な事に。そうなると、卒業式にその私立中学の制服を着て出席するっていうのは、そりゃあまりにもデリカシーがなさすぎじゃないですかね?配慮が足りないと思うのは、私だけなんでしょうかね?・・・・ということなわけです。


結果的に、息子は自分でスーツを着て出席する事に決め、学生服は着ませんでした。しかし、ほとんどの友達が、真新しい学生服を着て出席するであろう卒業式に、自分だけは、スーツにネクタイで出席するわけですから、ちょっと勇気のいる決断だったかもしれません。ましてや、私立進学組の子供たちは(そしてその親たちも)、その制服を着て卒業式に出席する事を、きっと誇りに思っているわけで、なんならちょっとこれ見よがしなくらいに胸を張って、卒業式に臨むわけですから、ね。


さて。卒業式当日。


式は滞りなく終わり、みんなが校庭で最後の別れを惜しみつつ、写真を撮ったり、謝恩会の相談をしたりしている中に、息子と、受験に失敗してしまった友達の姿がありました。


実は、2人はとても仲が良かったんです。夏休みにはうちに泊まりに来て、息子と2人でカレーを作ってくれたり、庭で花火をしたりして、すごく仲良しだった。ところが、受験が終わってからというもの、2人の間にそれとなく溝のようなものが出来てしまい、息子はそのことを気にしていたんですね。「今は少し、そっとしておいてあげたほうが、いいんじゃないかな?」という月下のアドバイスに耳を傾けたのかどうかは分かりませんが、微妙な距離感を保ったまま迎えた、卒業式当日だったわけです。


そんな2人の姿が、体育館の入り口にありました。


息子に「写真を撮ってあげるよ」と声をかけようと思って近付いた月下より、わずかに早く彼が、スーツ姿の息子に声をかけてきました。


「おまえ、制服着てこなかったんだ。」

「うん。」

「なんか、新入社員みたいだな。」

「おれ、これから入社式だから。」

「ネクタイだし。」

「おれ、営業だから。何か、売りつけるよ。壷とか。」

「印鑑とか?」

「そうそう。なんか、運とか開けるらしいよ。1本200万。」


そう言って、久々に笑いあっている2人が、そこにはいました。


たとえ息子が、学生服を着て行ったとしても、そのことで彼が深く傷つくようなことは、おそらくなかったでしょう。皆がしていることを、息子もしている、というだけのことです。しかし、ちょっとでも、彼の気持ちを慮ることが出来たなら、それが最良の選択だと、果たして胸を張って言えるのか?ということなわけですな。


自分のしたいようにすれば良い。
ただしそれは、必ずしも最優先であるとは限らない。


・・・・つまり、そういうことです。


「おばさ〜〜ん、写真、撮ってよ!!」


おばさんって、呼ぶな、私をおばさんと呼ぶんじゃない!!・・・・と思いつつ、彼の声に応えて2人にカメラを向けると、そこにはとてもリラックスした、最高の笑顔で笑う2人の姿がありました。


「おまえさぁ、高校は受かれよな、待ってるから。」
(※息子の通う中学は、中高一環教育で、高校からの入学者もある)

「おぅ。リベンジ、リベンジ。今度は勉強するよ〜〜」

「・・・・って、今回はしなかったんかいっ!!」


家に帰ってきた息子が、「やっぱ、制服着ないで正解だったね」と言いながら、スーツを脱いでいました。それがわかるようになった分、君は人として成長したぞ。


・・・・そう。
人として本当に大切なのはさ、本当はさ、そういうことなんだよ。