月下のピアノ話 その2
たぶん、ピアノ弾きにとって一番困る質問というのは 『ピアノが弾けるって、どんな感じ?』 というやつではないだろうか。そんなこと言われても・・・・困る。困るの一言に尽きる。なにしろ、ひらがなよりも先に、音符が読めるようになった人種だ。
そんなふうに、当たり前のようにピアノを弾き続けてきたけれど、ピアノの練習って、実はものすごーく地味な作業なのだ。そして私は、そこから多くのことを学んだ。その地味な作業の蓄積の向こうに、物事の考え方、捉え方の縮図を、見てきたように思う。それらは、音楽とは無関係かもしれないけれど、しかしそれらは確実に、私の血肉である。
【体で理解する、ということ。】
本を読む。話を聞く。「あぁ、そうなんだ」と、理解し、納得する。しかし、たとえ納得したところで、所詮それは他人の知識であり、他人の体験であり、他人の努力であり、他人の足跡である。ただ自分は、それをなぞったにすぎない。
大切なのは、自分が実感としてそのことを体で思い知ることだ、と私は思う。 『あぁ、そうなんだ』 ではなく 『あぁ、こういうことだったんだ』 と思うことが出来て、初めてそれは自分のものになる。もちろん、そこへ行きつくためには、ある種の努力が必要だったり、思考錯誤の繰り返しがあったりするわけだが、それを厭うていたら、どこにも辿り着かない。 結構シンドイけど、そういうことって、あるのだ。
【自分と向かい合うことに慣れる、ということ。】
ピアノの練習は孤独な作業だ。弾くことは、すなわち聴くことだ。弾いているのは自分だし、聴こえてくるのは自分のピアノだ。ただそれだけ。他にはなにもない。ひたすら、自分の出す音に集中する。体調の良し悪しまで、音に出る。自分で弾いていると、それが良くわかる。睡眠不足が続いたりすると、それがてきめんに現れる。指は動いているけれど、音が耳に届かない。不思議なものだ。 そんな時、私はいつも、ピアノという楽器を媒体にして自分自身と向き合っているのだと感じる。それは、時に穏やかであり、時に気恥ずかしく、時に居心地が悪い。
向き合いたくない・・・・そんな自分でいては、いけないような気がする。
他にも、ずいぶんいろんな事を学んできた。 ピアノが上手いとか、下手だとかという問題ではない。それは単に、長く続けてきたことによって導き出された、ある種の答えだ。それが正しいとか、間違っているとか、そういうことでもない。ただ、それは、少なくとも私にとっては、間違いのない事実なのだ。 そして、こういう事実の積み重ねの上に、私という人間は存在している。こういう事実こそが、私の礎でもあるような気がする。
そんなふうにして、私はピアノを弾く。だからどうってほどのことでもないが、弾く。
下手の横好き? 好きこそモノの上手なれ?
いずれにしても、昔の人は、上手いことを言う。
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