[ ざっくばらん ] の正しい使い方。





ざっくばらん・・・・ということについて、月下の所見を述べます。礼。


「まぁ、ここはひとつざっくばらんに話し合って・・・・」てなことをよく言いますよね。腹を割って話をしましょう、ということなんですが、事態が微妙にこじれていたりする時に限って登場する、”ざっくばらん”。これがなかなかのクセモノでして。


「ざっくばらんに言いますとね・・・・」という前フリがつくと、その後にどんな誹謗中傷を受けたとしても、それをなんとなく甘受しなくてはならないような雰囲気になるんですよね。相手が腹を割って胸の内をさらけ出しているのに、それに対して怒ったり、反撃したりすると、”器の小さいヤツだなぁ・・・・” くらい、思われるんじゃないか?という妙な危惧も生まれ、結果的には、言いたい放題言われまくって、それでもニコニコ笑っているという、不思議な事態に陥っているわけです。


「いやぁ、それじゃぁ、こちらもざっくばらんに話しますけどね・・・・」目には目を。歯には歯を。そして、ざっくばらんには、ざっくばらんで応酬するのが鉄則。これであっさり形勢は逆転。しかし、決して事態が収束に向かっているわけではなく、ざっくばらんという盾のもと、ただ相手をメッタ斬りにしているだけのことでして。そのうえ、「さっきはよくも、言いたい放題言ってくれたなぁ・・・・」 くらいの弾みがついちゃってるから、そりゃぁもう大変。もはや、ここまで来ると見苦しくさえあります。


そして気付けば、煮えくり返った腹を抱えながら、薄ら笑いを浮かべて両者向き合っている・・・・という、かなり痛い空気が漂うわけです。ざっくばらん・・・・恐るべし。


そこで月下は思うわけです。


ざっくばらんというのは、”言いにくいんだけど、出来れば言いたくないんだけど、でも自分は君のことを思っているから、あえて口にするよ・・・・” という気持ちがあって初めて、その効力を発揮する言葉だと思うんですね。
だからそこには、ある程度の友情なり、愛情なり、信頼関係なり、何かしら人と人を繋ぐ絆があることが、大前提だと思うのです。


そういう絆もヘッタクレもないところに、いきなりざっくばらんを持ち出されてきても、それは単に、相手にダメージを与えるための凶器ですよね。お互いに、ただ不快なだけで、何も解決には向かわない・・・・最悪の展開。


つまり。


ざっくばらんに話し合う事で理解しようとするのではなく、理解し合える相手だからこそ、ざっくばらんに話が出来る。それが正しい 『ざっくばらんの使い方』 なんじゃないかな?ってね、思います。
第一、ちょっとざっくばらんに話をしてみたところで、人間同士なんていうのはそうそう簡単にわかりあえるものではないでしょ。人間って、そんな単純な生き物ではありませんよね、たぶん。


どうでしょうね。