連鎖する食卓、そして、サバイバルを生き抜く女たち。
月下の母親(以下、月下ママ)はスーパー主婦で、何をやってもとにかく上手だ。料理の腕なんてプロ級なのだが、本人いわく 『食いしん坊は、料理が上手』 なのだそうだ。なるほど。「レストランでも開いたら?」 と言ったら、「他人のためにご飯作るのなんて、やだぁ〜〜」 と言っていた。彼女にとっての料理とは、あくまでも、友人と、家族と、そして自分へのサービスであるらしい。
『自分が食べたいものを作る』 というのが月下ママ流で、彼女に言わせるとそれは、『作る人の特権』 ということになる。しかしそれは、裏を返すと、『自分が食べたくないものは作らない。自分が嫌いな食材は使わない。』 ということになるわけで。
・・・・そういうわけで(前置きが長くなったが)、私はセロリというものを食べたことがない。一度もない。なぜなら、月下ママはセロリが嫌いなため、料理に使わないのだ。だから当然、食卓にセロリが上ることはなく、したがって、月下の口に入ることもないまま月下は大人になり、そして、気づけば ”セロリは食べたことがありません” から ”セロリは食べられません” になっていた。
自分がご飯を作る人になって10年、月下はセロリというものを料理に使ったことはないし、セロリを買ったこともない。もしも買ってみたところで、どうやって使うのかすら、わからないと思う・・・・っていうか、わからない。
・・・・ということは、である。 生まれてこの方、うちの息子は一度もセロリを口にしたことがない、ということになるわけで、このまま大きくなると、月下のようにセロリを食べられない人になる可能性は大きい。
それはたぶん月下の責任だし、さらには月下ママの責任である。セロリの落ち度でないことだけは確かだ。こういう連鎖って、考えてみればオソロシイ。
「セロリは、スジスジがあるから、表面の皮を剥いて使うんだよ」
「ふうん・・・・」
隠れ家のカウンターに寄り掛かって、セロリの酢漬けを突付いている彼女が、別に尋ねもしないのに、そう教えてくれた。彼女は大のセロリ好き。 彼女はとてもいい人だ。私は彼女が大好きだ。しかし、私の目の前で、これ見よがしにむしゃむしゃとセロリを食べるのだけは、できればやめていただきたい。特に野菜スティックは勘弁して欲しい。耐え難い臭いだ。
「おいしい?」
「食べてみればいいじゃん。」
「いや、いらない。」
クッサ〜〜ィ‥ (;¬_¬) φ( ̄¬ ̄ヾ) オイシイ、オイシイ♪
「どんな味?」
「だから、食べてみればいいじゃん。」
「いや、結構。」
セロリをめぐっては、こんな会話をいったい何度繰り返したことか。そして、静かな攻防の末、結局、月下がセロリを口に入れることはなく、棒状にカットされたセロリも、酢漬けにされたセロリも、みんな彼女の胃袋に納まる。 彼女は食べられないモノというのがないのだ。素晴らしいことだ。
「あなたみたいに、好き嫌いの一つもないような図太い人間は、大地震が来ても、津波が来ても、絶対に生き残るわね、おほほ。」
と言ったら、
「あなたみたいに、好き嫌いをしているような人間に限って、サバイバルな状況になったら、信じられないようなものでもガンガン食べて、きっと生き抜くのよ、おほほ。」
と言われた。カウンターの中でそれを聞いていたバーテンダーが、呟いた。
「あんたたち、二人とも絶対に死なない・・・・」
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