残念ながら、月下は賢者ではないけれど。





月下は、一人でいることが好きだ。


一人で過ごすことは、月下にとって苦痛ではない。
一人で本を読んだり、考え事をしたり、ピアノを弾いたり、猫をかまったり、シャツにアイロンをかけたり、音楽を聴いたり、スパゲティを茹でたり、映画を観たり、ストレッチをしたり、車を飛ばしたりする。


友達がいないわけではない。
いざという時、頼れる友達がいる。一緒にいると、ハッピーな気分になれる友達がいる。私の過ちを正してくれる友達がいる。友達は大切だ。大人になってからの友情は、さらに大切だと思う。


にも関わらず、月下は一人でいることが好きだ。
いや、好きだというよりそれは、月下にとって、必要不可欠なものなのだ。


一人で過ごす時間。
大勢の人に囲まれている時には考えないようなことを、考えている。
何処かに辿り着くのか、あるいは何処にも辿り着かないのか?ただゆるゆると、思考回路に微弱な電流が流れ続けている。言葉にして垂れ流すことがない分、ささやかな思索は、ささやかであるなりに、煮詰まったり、焦げ付いたりしながら、その濃度を高めていく。


一人で過ごす時間。
些細なことを、文字に綴る。自分の思うことを文章にする。自分で読んでみて、あぁ、そういうことだったのだな、と思ってみたりもする。一人称であり、三人称でもある自分と、向き合っている。


一人で過ごす時間。
本を読み、音楽を聴き、映画を観て、どっぷりと浸る。感動したら、あっさり泣いてみたりもする。誰かの手に、自分の中の、わりと弱々しい部分を鷲掴みにされるのも、たまには悪くないと思う。


ある人は言った。『孤独は人を賢者にする』 と。
月下が賢者であるか否かは別として(笑)、私はこの言葉がわりと好きだ。一人でいることが、あるいは、一人でいることが好きだということが、決して間違ってはいないのだということを、思い出させてくれる。


とにかく、そんなふうにして私は、自分という人間を振り返る。
物事の仕組みや、誰かの痛みや、嫌悪感の正体や、あれやこれやについて、思い巡らす。一人になって、じっとクールダウンする。なぜ、そんなふうなのかは、自分にもわからない。ただ、私が子供の頃、母は、私が長生きしないのではないか?と心配したと言う。そのくらい、癇の強い、神経過敏な子供だった。そんな子供だったから、今でもこうして、一人になって、心を鎮めたり、頭の中を整理したりする必要があるのかもしれない。


よくわからない。


しかし、一人で過ごす時間があって初めて、誰かと過ごす時間の大切さを思う。誰かと分かち合う喜びを知り、語るべき言葉の意味を知る。


これだけは確かなことだ、と思う。