月下は昔、時給2400円のカリスマ○○だったらしい。
月下は、働いたことがない・・・・そう言うと、なんだかものすごい遊び人みたいだけど、就職する前に結婚してしまった、というだけのことです。はい。
そんな月下の労働経験はといえば、学生時代のアルバイトですね。塾の講師をしていました。軽作業で高給。嗚呼、なんて素晴らしいアルバイト・・・・
実は、こう見えても月下は (どう見えてるかは知らんが)、地元ではちょっとした ”カリスマ塾講師” だったのです (地元のカリスマ・・・・だっせぇ〜〜〜!!)。
絶対に成績を上げてくれる先生・・・・それが、月下が有名な先生だった所以なのですが、別にたいしたことしてたわけじゃ、ないんだよねぇ〜〜。 (−"−;) …ぇ
最初に勤めた塾は、事務局長と喧嘩して辞めてしまいました。そして、これ見よがしに、通りを挟んで向かいの塾で働き始めたら、月下が辞めた塾から生徒がぞろぞろついてきてしまい、生徒激減のうえに悪い評判も立って、元いた塾は潰れてしまいました。いい気味だ。ざまーみろ。ヾ(ー ー )ォィォィ…
まぁ、そんな鳴り物入りで働き始めたため、2件目の塾では最初から待遇が良かったですねぇ。そりゃぁ、新入生10人というお土産付きだったんだから、当然と言えば当然ですけどね。
よくわからない特別手当が付くうえ、バイトだったにもかかわらず、年に2回ボーナスまで支給されるという念の入れよう(笑)。盆暮れには、生徒の父兄から職員室に、月下宛のお中元やお歳暮が届く・・・・という、なんだか勘違いしちゃいそうな、左団扇なアルバイトだったのです。
さて、そんな月下の専門は?と言うと・・・・ずばり、『ものっっすごい出来ない子』。
いたでしょ?クラスに1人ぐらいは。ほんっとに、勉強の出来ない子。そういう子供たちを、学年も学習進度もまぜこぜで、一度に5人くらいずつ、マンツーマンでみていました(これって、マンツーマンって言うのか?)。
そういう子供を相手にする時に忘れちゃいけないのは、『この子たちは、勉強なんて大嫌いで、勉強なんかしたくないのに、無理矢理やらされてるんだ』 ということですかね(笑)。そのうえ、勉強できないことに対して、コンプレックスを感じていたりもするわけですから。もうこれ以上、凹ませちゃ、ダメです。
そして、「頑張ってね」 とは言わずに、「頑張ってるね」 と言いましょう。励ましの言葉は、常に脱力系(うにゃうにゃ)。
授業は、その子がつまずいたポイントまで遡ったところから始めます。そして、そのポイントを、しつこく、ゆっくり、何度も、やる。そのうち、「なんか僕、出来るじゃん・・・・」 という気になってくるんですねぇ〜。”そりゃぁ、これだけしつこく同じことやってりゃ、イヤでも出来るようになるだろーよ” って話なんですが(爆)、とにかく、「あ、出来るじゃん」 という感じが大事みたいです。出来るじゃん、分かるじゃん、という感覚を覚えた子供は、もうそれだけで落ちこぼれ脱出。あとは、着々と遅れを取り戻していくだけです。
要は、自転車と同じですね。大変なのは、サドルにまたがってから最初のひと漕ぎ、ふた漕ぎ。あとは、そんなに力いっぱい漕がなくても、結構走れちゃう(笑)。
慣性の法則、ブラボー。しゅ〜〜ん。 ε=(ノ - -)ノ
1年か2年もすると、月下の生徒達は普通クラスに巣立って行きました。その後はみんな、普通クラスの子供達に混じって、ちゃ〜〜んとやってましたよ。これで月下のお役目は終わりです。一丁上がり。めでたしめでたし。
今思うと、塾の講師っていう仕事は、面白かったですねぇ。
形のないものを売ってお金を稼ぐ商売ですから、その分、責任は重かったですけどね。でも、きちんと結果が出れば、それが評価されて報酬という形で還ってくるわけですから。単純明快。とても分かりやすい。それに、『誰がやっても、同じ結果・・・・ではない仕事』 というところも、また魅力でしたね。
「今から仕事に就くとしたら、何をする?」 「昔、どんなバイトした?」 ・・・・友達とそんな話をしていて、学生時代のアルバイトのことなどをいろいろ思い出したので、思い出したついでに書いてみました。
ちなみに彼女は、今後就職するなら 「家政婦かな。」 ・・・・リアル過ぎです(爆)。
友達 : 「じゃぁ、月下はどうなのよ?」
月下 : 「ん〜・・・アドバルーンの監視員。一日中、ビルの屋上で空を見てるのが仕 事。どう?」
友達 : 「あ、私も家政婦よりそっちがいいや。一緒にやろうよ。デパートの屋上の、 100円入れると動く乗り物とかさぁ、乗り放題だったらいいねぇ〜〜♪」
・・・・あんた、たぶん馬鹿でしょ(笑)。
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