生存率という、シュールでリアルな話。
10年生存率、という言葉を最初に聞いたのは、母の乳癌の手術が終わり、執刀医から手術の様子や、今後の治療についての説明を受けている時だった。
「一般的には、リンパに転移がない場合の10年生存率は○○%、リンパに転移があれば○○%と言われています。さらに、他臓器への転移があった場合には・・・・」
「10年生存率?」
「そう。10年後に生きている可能性。」
両手で掬い上げるほどもある大きさの、摘出ほやほや(??)の患部を前に、これはなかなかリアルな話だ。
10年生存率・・・・患者が、あとどのくらい生きられるのか?それを、10年という単位を一区切りとしてパーセンテージで表す。なるほど。分かりやすい説明だ。
しかし、面談室を出る私の胸には、何かしら引っかかるものがあった。ちなみに、父親は ”生存率” なんて言葉を聞いただけで、すっかり舞い上がっている。
月下パパ : 「ママ、死んだらどうしよう〜 (TдT) アーゥ… 」
月下 : 「 (≡д≡)ぇ… もしもし〜?今の説明、聞いてなかったかなぁ?」
・・・・まったく、こんな時、男はだらしないのだ。
ともかく、10年生存率である。
たとえば月下は、今のところ健康だ。とりあえず今のところ、癌に罹っている様子もないし、死にそうな気配もない。それじゃぁ、月下の10年生存率は100%なんだろうか?10年後、月下は絶対に生きているんだろうか?
『そんなことは誰にもわからないで〜〜す。』
そう、つまりそういうことなのだ。
命あるものはいつか必ず死ぬ。でも、普段の生活の中で、そんなことを意識している人なんて、たぶんあまりいない。いや、それでよいのだと思う。たぶんそれは、その人が健康で、幸せな証だ。
だとしても、命あるものがいつか必ず死ぬ事にかわりはない。癌に罹ったから死ぬのでもなければ、罹らなかったから死なないというものでもない。みな等しく、いつか死ぬ。
ただ、癌に罹った者は思い出させられるのだ、『あ〜〜そうだった。人って、死ぬんだっけ・・・・』 という事実を。癌患者と、そうでない者の歴然たる差異は、その動かし難い事実に気付いているか、気付いていないか?ということなのかもしれない。どちらが幸せなのか?今のところ、月下にはわからない。
・・・・なんてことを思いながら、待合所の窓から外を眺める。
誰が癌に罹ろうと、誰が死のうと、生きようと、世界は同じように回っている。
術後の経過も順調だった母は、1週間後にめでたく退院した。
母が入院した病院というのが、高度先進医療の実施を承認された 『特定承認保険医療機関』 という病院であったため、かなり難しい症例の患者さんも多く、その中に於ける母の位置付けはといえば、せいぜい ”ただの乳癌” といったところで(笑)、「な〜んだ、私は ”ただの乳癌” なのかぁ〜♪」・・・・と、まぁ、かなり勇気付けられて退院してきたらしい。
「乳癌ですって言われた時は、大変な病気に罹ってしまったと思ったのね。なんで私だけが、こんな大変な病気に罹ったんだろう?って。でも、いざ入院してみたら病気の人たちがいっぱいいて。なんだ、自分だけが病気になったんじゃないんだ・・・・って思ったら、気が軽くなっちゃった。」
・・・・月下ママ、退院後のお言葉である。気楽な人だ。羨ましい。
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