たとえば、月下の落下願望。





”日常という範囲を、ちょっとだけ踏み外したところにあるかもしれない何か” に無性に惹かれる。


たとえば。
月下は、おそろしく高いところから飛び降りてみたい・・・・という思いに憑り付かれている。昨日、今日に始まったことではない。ずっと昔から、そんなふうに思っている。
別に、死にたい願望があるわけではなく、ただ純粋に、飛び降りてみたい、というだけのことだ。


それも、ちょっとその辺にある6階建てくらいのしょぼい雑居ビルとかじゃなくて、もっと、もっと、信じられないくらい高いビル。あるいは、絶壁。いずれにしても、地上が見えないくらい、高いところ。墜落する前に、なにもかも消えてなくなってしまうくらい、高いところ。


馬鹿馬鹿しいですね、まったく。馬鹿馬鹿しくて、理不尽だ。(そのうえ危険だ。)


でも。


たとえば、ちょっと踏み外しただけ。
あるいは、ちょっと掛け違えただけ。


もう少し手を伸ばせば、触れられるんじゃないか?向こう側が覗けるんじゃないか?
もう少し、もう少し・・・・そんな危うい感じがたまらないのだ。そのもどかしさや、儚さや、時には残酷さが、たまらなく好きなのだ。みぞおちのあたりが、ゾクリとする。


ところで。


私はもーれつにリアルな生活をしている。家事をする。仕事もする。子供も育てるし、床も磨く(笑)。ごくフツーのおばちゃんだ。
にもかかわらず、私という人格の、もしかしたら、ほんのひと欠片くらいは、日々の雑事が届かない場所で、静かに息をしているのではないだろうか?と思ったりもする。
それはたとえば、”あちら側” と ”こちら側” の境界のようなところかもしれない。そして、慌しい日々をリアルに生きている私のことを、口元で笑いながら眺めているような、そんな気がする。


だとしたら、私の本質はどちらにあるのだろう?
リアルに生きている私と、境界線あたりを彷徨っている私。いや、ふたつに引き裂かれた状態そのものが、正否や真偽や善惡を越えて、私の本質なのかもしれない。だから、月下という人間はひどく不安定で、恐ろしく不完全なのだろう。
きっと、そうなのだろう。


・・・・なんてことを、最近、考えている。