ジューン・ブライド、というわけで結婚式の話。





6月といえば、ジューン・ブライド、とか言うんでしたっけ?6月に結婚した花嫁は、幸せになれるんだとか、なれないんだとか・・・・ヾ(ー ー )ォィォィ…


月下が結婚したのは、23歳の時でした。当時は何も考えていませんでしたが (今だってたいしたことは考えていませんが)、思えば早い結婚でしたね。


式を挙げたのは10月10日。”体育の日なら、きっと忘れないだろう・・・・” という、理由とも呼べないような安易な理由でこの日にしたのですが、その後、体育の日は10月の第2月曜日に移動。もはや、”体育の日だから・・・・” という、しょーもない理由さえ通用しない、グダグダな感じの結婚記念日です。


2人とも結婚式には何の夢もこだわりもありませんでした。やらなくたっていいと思っていました。「まぁ〜せいぜい、どこか小さなレストランを借りて、家族と仲の良い友達だけに来てもらえばいいんじゃない?御祝儀なしの引き出物なし。」・・・・なんてことを話しておりました。


ところがところが。


姑ちゃんが事業をやっていたことを追い風に、何やらずいぶんと様子が変わってまいりまして。結婚する当人たちの思惑など何処へやら・・・・。


気付けば、会場は某有名ホテル。招待客250人。引き出物はどっさり。御祝儀もごっそり(笑)。お色直しも、白無垢、色内掛け、ウェディングドレスに色ドレス、2次会にはパーティードレス・・・・と、そりゃぁもう、フルコース。


宴もたけなわとなれば、月下もつれあいも見たことのないオバチャンが、カラオケでテレサテンは歌うわ (なぜにテレサテン?)、手拍子は出るわ、踊り出すわ(笑)。挙句の果てには、酔っ払って泣き出すオッサンまで(爆)。
「あれが、新婦さんのお父様かしら・・・・」って、いやいや、違いますから。あんなオッサン、見たことないですから。 ε〜( ̄、 ̄;)ゞ フー…
そのうえ、緊張のあまり貧血を起こして倒れてしまった仲人さんの奥さんを、花嫁である月下が助け起こして式場の外まで運び出すという、前代未聞の珍事まで起きる始末。花嫁の介添え人を、花嫁が介添えしてどーするよ??(爆)


たぶん、月下とつれあいがが思い描いていた結婚式とはまったく違う、どう考えてもしょーもない結婚式でした。でも、だからと言って腹が立つかといえば別にそんなことはなく、「まぁ、お義母さんの好きなようにすればいいよ〜。無事に終わってくれれば、オッケーだよ〜〜」 という、わりと投げ遣りな感じでしたね(笑)。そもそも結婚式には、何のこだわりもなかったんですから。


当然のことながら、新婚旅行なんてものも、まったく白紙の状態でしたね。
結婚式の当日は会場だったホテルに宿泊しますわな。翌朝、月下とつれあいが、やたらと多い荷物 (酔っ払った友達が、忘れて帰った引き出物が5袋もあった) を抱えてチェックアウトしていると、同じ日に挙式したカップルが、ホテルから新婚旅行に発つんですな、これが。


「あ〜〜、あの人たち、何処に行くんだろうねぇ?」 

「パスポート持ってたから、海外だねぇ〜 Oo 。( ̄¬ ̄*) ぽあぁん…」

「ふぅ〜〜〜〜ん・・・・さて、おうちに帰ろう!」 


みたいな・・・・ね(笑)。
でもね、式を挙げたホテルが、同系列のホテルの宿泊券みたいなのをくれたもんで、そのチケットを使って京都に行きましたよ。どうして京都だったか?っていうと・・・・高校時代、つれあいはちょっとヤンチャをしたために停学処分を食らって、京都に行くはずだった修学旅行に連れて行ってもらえなかったから・・・・という、これまたグダグダな理由でした。そんなことのリベンジに、月下を付き合わせないで欲しいですね。


えっと・・・・あぁ、結婚式の話ね。
月下みたいに無頓着なのも、ちょっとどーかとは思いますが、結婚式に対して、過剰に夢や理想のある人の結婚・・・・っていうのは、な〜〜んとなく危ないような気がします。『結婚したい』 んじゃなくて、『結婚式がしたい』 みたいな人の結婚は、式が終わった時点で、完結してますからね。そこで燃え尽きる。めらめら。


確かに、思い出に残る素適な結婚式であることに越した事はないんですが (ある意味、月下夫妻の結婚式だって相当思い出深い・・・・笑)、本当に大事なのは、その先の生活ですからね。結婚式は1日で終わるけど、その先の生活は何10年と続きますからね。


月下弟が、そろそろ結婚しそうな感じです。なんとなくそんな感じです。これは・・・・姉ちゃんの勘です(爆)。とりあえず、『結婚式に懲りすぎる女は、やめとけ』 と、耳打ちしておきました。幸せになって欲しいものです。