スタイルの違いその2



(ガツガツさんのご意見)
ここを読んでる人たちに考えて欲しい事は、

「ゲーセンでのコミュニケーションは忌避される」

という事です。

一部の人たちと友達になっても駄目です。普通に、知らない客同士でも会話できないと。
別に会う人皆と片っ端から友達になれなんて言いません。
ただ、ゲーセン内では「町中なら交わされるであろうやり取り」すらも無い様に
感じられるのです。


例えば、「当て投げをしてしまった時、ノーガードで投げられる」という暗黙のルール
(私はこれ嫌い、というか意味が無いと思ってますが)を守る人が居ますが、
これも只ボーッと突っ立つのではなく、
「ごめん、間違って投げたから一回なげて良いよ」の声と共にやられれば、少なくとも

@「いや、俺も当て投げはするから、遠慮無く使ってよ」と言う
A「そう?じゃあ」と言葉に従い、自分も当て投げはしない

という2種類の行動がすぐに取れるはず。そこで意見の食い違いが出ても、
「もうその人には乱入しない」という選択肢がすぐ取れるはず。
こういうのって、「乗り物で席を譲る」のと同程度の会話だと思うんですが。
(対戦台は会話がし難いけどね。)

ハメ、待ち問題は理想的にはこのように当事者同士でケースバイケースで解決される
べきだと思います。投げはシステム的に許された当然の行為ですが、投げが嫌いな人
同士が使わない約束で対戦するのは大いに結構な事です。

こういう掲示板で多くの同意を得られた人も、それが「普通」「標準」だと思わないで、
とりあえず声を掛けてみてはどうでしょう?

端から見ただけでは、「女でも真剣勝負派」の人か「楽しくやりたから手加減して派」
の人かなんてわかりっこないですからね。
どの場面においても通用する万能の決め事なんて作れません。
相手の主張と、自分の主義から妥協点を探るべきじゃあないでしょうか。

今は、
「意見の相違」-「むかつく」-「溜め込む」-「爆発(手を出す)或いは陰口風」
みたいな感じで、むかついた段階でのコミュニケーションによる解決が
余りにも少ないと思います。

「拳で語る」「言葉は要らない」なんてのは普通の会話が成立する上での話であって、
対戦さえ出来れば会話は要らないという意味じゃ無いと思います。

********
> お猿さん
> どこかがきちっとした定義を作ったほうがいいと思いませんか?
> 最近ゲームやり始めた人なんか、意味も知らずに「ハメだ」って叫びますから。
> こういう時こそゲーメストが役に立つのになあ。
私は、上で書いた通り、定義は人それぞれ違うので当人同士で決めるのが最良だと
思います。ゲーメストで決めた所で、プレイヤー全てがそれを見るわけじゃないし、
拘束力も無い。
ゲーメストにしても、掲示板にしても、勝手に決め事や基準を作って万人にそれを
適用しようとするのは間違いだと思います。


(お猿さんのご意見)

ガツガツさんへ

>ゲーセンでのコミュニケーション
僕はむしろゲーセン内のほうが豊富だと感じるんですが。
普通に町中で会う人は完全な他人ですが、同じゲームをやっている人なら、
少なくとも一つは趣味が合っているじゃないですか。それにゲームをしている人って結構気さくだと思うんですが。
ただ、僕は知り合いとは本気で試合を出来ないので、対戦相手と仲良くなると困るんですが(笑)。

>ハメ定義
別に全員に適用しようというわけではないですが、現状では

「今日ゲーセンでハメられたムカツク」
「あなたの言うハメとはどこまでを指すのですか?」

というやり取りが多すぎます。
だから、一般的に使える用語を作ったほうがいいと思うんです。
例えば、「キャンセル」だっていつのまにか定着しているし、「当て身」「中段」みたいな本来からすれば意味のおかしな言葉も一般的には定着しています。
だから、拘束力はなくても有ったほうが無駄を省けるんじゃないですか?


(JOKERさんのご意見)

>「ゲーセンでのコミュニケーションは忌避される」
凄く大切な事を忘れていました。
他人に対する行動に気をつけることよりも、意思伝達をすること…
アメリカで子供にまず教える英語の話を思い出しました。
「Thank you,Please,sorry」日本語なら「ありがとう、お願いします、すいません」
この3語があればほとんどの用件もこなせ、相手に失礼がないという言葉です。
確かに、この3語すら言えない方が多い。人にぶつかっても、黙っていたり、睨むだけとか。
違うと思う。ぶつかるのはしょうがない。ミスは誰にでもある。ミスを責めるのはよくない事だ。
少なくともここは会社社会じゃない。大切なのはその後の行動なのに。揉め事の原因はこういうのが
多いんじゃないかなと思う。
ガツガツさんの言うように、「なされて当然の会話」があればこんな事は
おそらく減りますよ。常識はけっして難しいものではないと思う。
(レオンさんのご意見)

お互いに楽しむなんて、挌闘ゲームじゃあ不可能だよ。
だから、自分が死合えると思えない人間に乱入しなければいいと思う。
俺は少なくともそうしている。
自分よりも上手い奴に乱入して玉砕してヘタクソだなんていわれても
当然のことだから気にしないし。
いわれてムカツク人間もそりゃあいるだろうから、これからは
そういう発言は控えるけど、心ではいい続ける。

対戦なんて、相手が誰だかわからないんだから。
それくらいの覚悟がないってのは問題あると思う。

楽しみたいのなら、家庭用、一人台、身内対戦すればいいんだし。


(天京院 静さんのご意見)

レオンさんへ
こんにちは、横ヤリですが。
>お互いに楽しむなんて、挌闘ゲームじゃあ不可能だよ。
それは違うんじゃないでしょうか?
じゃなければここまで格ゲー流行らないと思いますよ

>だから、自分が死合えると思えない人間に乱入しなければいいと思う。
>俺は少なくともそうしている。
死合う?
別に死合う(?)程の覚悟が無くても乱入して良いのでは。
サクッと殺されてもかまわないです。
上手な人との対戦って、下手な私にとっても何らかの意味があると思っていますので
乱入します。例えば上手な連携からの防御の練習とか。
(単に固められているだけとも言いますが。)
(ハメ殺されるのは嫌です。)
1P台がないっていうのもあります。

>自分よりも上手い奴に乱入して玉砕してヘタクソだなんていわれても
>当然のことだから気にしないし。
私、「へたくそ」の部類に入る方です。その自覚はあります。
でもね、人に言われるとイヤなんですよ。気になります。
「へたくそ」な事にではなくて、「言われた」事に対してです。


>いわれてムカツク人間もそりゃあいるだろうから、
>これからはそういう発言は控えるけど、心ではいい続ける。
心でならいくら叫んでくださっても結構です。
聞こえなければ言われる方(下手な方)は嫌な気になりませんので。
でも、そんな事思っても何にもならないと思いますけど。
下手な私が「防御の練習」してると思っているように、
上手い人は「連携や連続技の練習・開発」するつもりで対戦に望むくらいの
余裕を持っても良いのでは。
考え方全く逆ですね。(笑)

・・・「強い」人が「上手い」人とは限りません。
「へたくそ」なんて、言ってしまった時点で「上手い」人から単なる
「強い」人になってしまうようでヤダナー。


(Cool deviceさんのご意見)

>レオンさん
◆死合う
 レオンさんが、真剣なのを否定するものではありませんが、だからといって、
 そこまでの覚悟がない方が間違ってるというのは、納得は出来ません。

 『自分たちは国のために死ぬ覚悟が出来ている。
  命を惜しむお前ら如きよりも、自分たちの方が正しいに決まってる』

 とか、昔の軍人とかが口にしそうなセリフですよね。
 自分の損得勘定を無視する=私心がない正しい
 という無意識の三段論法は現代でもしっかり生き残っています。

 が、しっかり間違いです(笑)。
 この論法には『自分が馬鹿かもしれない』という、良くある可能性が抜けています(笑)。

 また、『自分がそうされても納得する=公平』という図式もよく目や耳にします。
 これは上のに比べれば、かなりの普遍性を持って、納得のいく命題ですが、
 公平であるというのは、同時に不公平だと言うことを理解していないケースも多いと感じます。
 公平=不公平は例を挙げると、こういうことです。

『あんな良い人が若くして死ぬなんて、世の中不公平だよな』
『違うよ、世の中は公平さ。良い人でも早く死ぬし、悪い奴でも長生きする』

 自然界の確率論に従った『公平』は、人間社会の道徳観に沿った『公平』とは、往々にして
 方向性が異なります。後者は本来『公平』という言葉を使うべきでないのですが、まぁ、
 よく使われている以上、是非も無し。 

 話がそれた気がしますが、
 せっかく命の危険無しに、闘いを楽しめるんだから、お互い『楽しもう』って考え方が、
 本質的に無理で、負けた方は常にイヤな思いをするべきだというのは、受け入れがたい論理です。

 受け入れたくない、という意味で、ですが。

 格ゲーは真剣勝負、対戦台は死合の場、というのはレオンさん個人の考え方ですよね。
 それを否定するつもりも、資格も、権利も、意義すら、ありません。

 ですが、レオンさんの理屈は、、
 『街を歩くとしたら、其処にいるのは知らない人間が大半なんだから、
  殺されても仕方ない、というくらいの覚悟がなければ、外を出歩くべきではない。』

 という風に聞こえます。
 アメリカではそうかもしれない。アメリカでなくても、そういう土地もあるかもしれない。
 でも、それが唯一のあるべき姿であるとは思いたくない。


(レオンさんのご意見)

全ての人に理性と優しさがあったら、挌闘ゲームなんざできやしない。
そんなものがないから、できあがったものもあるんだ。

意見のあわない人間と対戦する可能性がある以上、
お互いに気をつける以外にないのはわかっている。

だが、それが果たして消去法でいいのだろうかと、最近思っている。

待ちだろうがハメだろうが、上手い奴が強いんですよ。


(Cool deviceさんのご意見)

>レオンさん
◆理性と優しさがあったら、挌闘ゲームなんざできやしない。
◆そんなものがないから、できあがったものもあるんだ。
 格ゲーに限らずですが、理性や優しさを否定しなければ生まれなかった物ならば、
 それがどんなに素晴らしいものであっても、私は認めません。
 裁判で不正な手段を用いて用意した証拠が認められないのとニュアンスが近いです。
 ですから、そういった物の存在は、理性や優しさの不在を擁護する根拠にはなり得ません。

◆待ちだろうがハメだろうが、上手い奴が強いんですよ。
 それは間違ってもいないかと思います。
 でも、強い奴のスタイルが正しい、というのは違うと思いませんか?
 私の言いたいのはそれです。

(紅トロさんのご意見)

>レオンさん
>理性と優しさがあったら、挌闘ゲームなんざできやしない。
できるでしょう、多分。
不特定多数の人が集まるゲームセンターで、理性のない人があれだけいたら、
女子高生は安心してプリクラできないですよ。

私に理性がなければ、絶対に襲っています。

あと優しさ。何を持っての優しさ?優しいって何?
つまり他人に対して親切なこと?それとも甘やかせること?
レオンさんの文章にレスをつけようと思ったんですが、意味がわからない。
あっ、文章の意味ではなく、優しさって事に対してね。優しいって何?
私は他人を甘やかしたことはあっても、優しくしてあげたことはないような気がする。

>だが、それが果たして消去法でいいのだろうかと、最近思っている。
消去法はいやですね。
「臭いものには蓋をしろ」みたいな考えは、なにも生み出さない。
対戦相手と自分の意見がまったく異なっていた場合、
上の方法論を使うと両者まったく動けなくなってしまうかもしれない。

おっと、仮定の話の上に仮定の話を載せて、理論もなにもあったものではないな。


(島 終次さんのご意見)

レオンさんへ。
>理性と優しさがあったら、格闘ゲームなんて出来やしない。

そうですか。
ならば何故、私のイベントに来たんです?あそこには理性も優しさも無いというのですか。
だとしたら私は凄く思い違いをしていたことになりますね。
あそこに来ていた人たち全てが、ただストシリーズが好きで、対戦したくて
集まった人たちだと思っていた。

そうでないとしたら、私が最後に言った言葉はただの馬鹿の戯言。
「このゲームを10年後までずっとプレイしたい。語り続けて行きたい」
この言葉に嘘はないんです。
この言葉に、理性が無いと思いますか?優しさが無いと言われるのでしょうか?

私は「スト2」によって人生が変わった人間です。
スト2を知らなかったら、どん底を見ることもなく、頂上を目指すこともなく。
ただ毎日を「生きているだけの人間」になっていた。
だから、その恩返しをしたいんですよ。スト2に。
このままでは、ストシリーズはおろか格闘ゲームそのものが廃れてしまう。
だから、イベントを開くことによってみんなの心の底にある「スト2」をずっと覚えていて欲しかった。
それが、理性でないといいますか?
優しさでないといいますか?

貴方の理由は貴方自身の理由でしかないんです。
少なくとも、あの言葉は私と、私のイベントそのものの存在を否定しています。
あの時、貴方は笑っていた。
それが嘘だと思いたくない。

待ちはめなんて、関係ない。あの言葉がどうして出たのか。それが知りたい。


(レオンさんのご意見)

物をするのにも、人それぞれに考えがあるわけだから、
両立しない考えがあってもおかしくない。

→島さんへ
本当に優しさがあるものならば、乱闘事件なんか起こりはしないんです。
起こらないとすれば、それはやっている側に優しさがあるからだと俺は思っています。

極論になってしまうのですけど、金が少しでも儲かるものでないと
いくらいいゲームだとしても世の中にはでないんです。

確かに、俺もスト2で人生変わった一人です。
ゲームを通していろんな人と仲良くなったし、対立したりもしました。

前言を撤回するのはできません。あくまで俺はゲームとは
理性も優しさもないところから生まれたものだと思っていますから。
でも、そのような存在から愛が生まれないとは、いいません。
好きだからこそ、俺もスト2を続けているんですから。
あのときの笑いに嘘はないですよ。
ただ、俺は野試合ではあんなに笑うことはないです。
むしろ、モニター越しに殺意を送っています。

対戦ですけど、俺は滅多に乱入はしません。
対戦の盛んなところでは試しに入りますけど、大体は乱入される側です。
が…発展しない人の連コインにたまに困っています。
以前誰かが書いたようにまさにコンボの練習台にしかならないんですけど、
相手は本当にそれでいいのか、疑問に思います。

俺は相手を滅する拳を手に入れるために対戦ゲームしています。
どんな戦法を相手が使ってこようとも、それを砕けるだけの拳を得たいと思っています。

リュウが手に入れようとしている拳とは違いますけど、
俺の中に先祖の血が流れているのなら、当然望む本物の拳なんです。


(ロンさんのご意見)

>レオンさんへ
ゲームに理性や優しさがないという理由を教えてください。
「ゲーム」を辞書で調べると遊び・試合・競争・計略などとなっています。
優しさはともかく、どう考えても理性は必要だと思いますが。
まあここでは「ビデオ・テレビゲーム」のことを言っているのでしょうが、
それでも上記の要素はあると思います。

>最後の段落について
えーと、文の意味がよく分かりません。先祖って?
「本物」っていうのは「REAL」じゃなくて「TRUE」の方のことですよね。
申し訳ないが読んで考えてしまったこと・・・
「拳」っていうより「指」じゃん。「足」も使うじゃん。
悪意はないです。

>ハメ・待ち論争
ハメに関しては僕は完全な永久コンボ以外は認めます。
待ちは嫌いなんですけど一応認めます。
嫌いな理由は積極性でないということです。
一番嫌いなのはいわゆる強キャラってやつです。

>ついでに対戦観
分かり合えない人は絶対いるのだから
自分のプレースタイルを押しつけず
合わないと思う人とはやらないことにしています。

(でもほとんどのプレースタイルは認めるので大抵乱入します。)


(JOKERさんのご意見)

>レオンさん

ここ、数日の島さんとのやり取り読ませてもらっていました。
そうですか、相手を滅するための拳ですか、俺はその道は間違ってると思います。
極端に言えば相手を滅していけば行き着くのは至高の場所と孤独。
そうしたら最後の一人を滅した時に自分を超えるかもしれない存在が(自分自身を含めて)
消えてなくなるのではないのでしょうか?
だから間違ってる!違う!といい続けるでしょう、レオンさんがへたと思う人にへ
たくそといいつづけるように、心の中で、闘いの中で。
俺の求める拳はまだ見つかりません、そもそも本物の拳があるのかも分かりません。
でも言える、相手を滅するための拳なんていらない、そんなもの本物の拳なんて言えないって。
いつかどこかでレオンさんと本気の対戦がしたいですね、お互いの信じた拳同士で。


(しょいこさんのご意見)

>レオンさん
>俺は滅多に乱入はしません。
>発展しない人の連コインにたまに困っています。
貴方が相手を選ぶように、貴方も選ばれるのです。
それが嫌なら、「死合」するのをやめるしかないんです。

おそらくこの事はレオンさん自身よくわかっている事かと思います。

>「死合」
殺意にせよなんにせよ、意思が伝わらなければ「死合」じゃないんです。

>相手は本当にそれでいいのか、疑問に思います。
相手が何を伝えようとしているのか解っていないのですか?
じゃあ、知り合い同士でしか「死合」できませんよ。連続技の練習でもして下さい。

相手がなぜきたのかわかって滅するから「死合」。
でなければ殺人鬼。殺すのに理由はない、みたいな(それが違うのは「本当にそれでいいのか」
という文からわかります)。


(TAUさんのご意見)

「普通?それは相対的なものの見方だ。君は何と比べて・・・
・・・普通というのかね?」

タイトルはアメコミ「X−MEN」中のプロフェッサーXの台詞より。
アメリカの漫画って、ごちゃごちゃした中に精神論・道徳その他を説いてある部分が
(どの作品にも)あって、翻訳版でもなかなか読みごたえがあります。
個人的には辞書片手に生の英語版を読んでみたいところですが・・・
どこかに売ってないかなあ、英語版。

さて本題。

対戦ゲームに付き物の「戦法」について。
正しいとか間違っているとか「戦法の是非」を考えるのはやめることにしました。
そもそも何と比べて「正しい」と判断するのか?
絶対的な判断の基準が仮に存在するとして、その基準は永劫不滅のものなのか?

・・・などと考えてまして。

要は戦術の選択も、その対戦相手の個性ということ。
それを賞賛、あるいは非難するにしても、頭ごなしに「こんな奴は**使いじゃねえ」とか
即断せず、それはその人の個性だと割り切ることが大事だと思います。

負けた理由を対戦相手のせいにして「あいつはきたねえ」とかいう人は、
このへんの認識が不十分なのです。極論ながら、対戦「ゲーム」には不向
きな人間といわざるを得ません。


(ひびき屋さんのご意見)

ほとんどの対戦ゲームって今百円ですよね?
で、その百円で何を求めて対戦するのかというのは
人によって違うと思います。

何十連勝もして百円で何時間も遊ぶのが目的なのか。
たとえ負けても面白ければいいという人(人によっておもしろさは違いますが)。

前者を対戦ゲームのシステム上許されることなら何をしても勝ちたい人
とするなら、後者を暗黙の制約に縛られる人とする事ができると思います。
ここでどっちが良くてどっちが悪いと言うことはできないとおもいます。

この事についての自分なりの結論として、
「自分にできることは相手にもできる」と決めつけて対戦しています。
つまり、「自分が相手に対して脱出不可能のようなコンビネーション
をしたら、必ず自分もやりかえされる」
とかんがえてます。
だからできるだけ自分からは、脱出不可能のようなコンビネーションを
仕掛けないようにしています。

それなら、先に待たれたりハメられたりしたら負けるじゃない?という質問がでるはずです。
はい、もちろん負けてしまいます。
でも自分はこれでいいと思っています。

で、負けたらとりあえず対戦相手の顔をさりげなく確認します。
そして、「この人には何をしてもいいんだな」と心の中で確認します。
それで、次の対戦からは容赦なく待ったり固めたりします。
自分も、かなり、勝つとか負けるだけの試合というのも好きなので。

このやり方だと確かに百円を損しますが、
自分にとって楽しい対戦をしてくれる人との出会いを逃さなくてすむ
という利点があります。
自分にとって楽しい対戦は、
たとえば、しゃがみ小K×2に無敵技で割り込める人がいて、
しゃがみ小K×2だと割り込まれるから小K×1でやめたら投げてくる人。
(こちらが小K×1をした時点で、相手は無敵技or投げの二択をしている。
もちろん、こちらがしゃがみ小K×2をしたときに投げを入力していたら小KはHITする)
ただし、相手が小K×1のあとに無敵技or投げの二択は最悪。

to レオンさん
「死合」という発想はOKです。
ただ、勝つためになんでもするというのならラウンド最初からやってもらいたいです。
お互いに、最後の一撃というときにそれまでバリバリ攻めてきた人にいきなり待たれると、
よけいにむかっとしてしまうので。

それでも、自分は通常技の当て投げはじぶんの方からはしないと思います。
でもこれは、自分自身が勝つためにしないという意味です。


(リヴァ狼牙(筆者)の意見)

>レオンさん
半分くらいは同じ意見です。あくまで半分。
対戦台でプレイする以上、対戦台であることによるデメリットを認識し、
覚悟しなければならないと思う。

すなわち、「自分とは違う考え方の人と対戦する可能性がある」

いつも楽しいプレイが出来るとは限らない。それと同じく、非常に楽しいプレイが出来る時もある。
自分が、どんな人とも戦う場所でプレイしている、という事を覚悟するべきだと思う。
その覚悟とは別に難しい事ではない。相手のスタイルに文句を言わないだけでいい。

考え方の違う相手とも戦う場所を自ら選んで、相手の考えを否定するなど、ましてや
自分の敗北を相手のスタイルのせいにするのは間違っている。

対戦台では、必ず自分が満足できる相手と戦うとは限らない。
確実に楽しむのであれば、内輪対戦のほうが確実に楽しめる。
お互いに楽しむのは不可能ではない。
しかし、いつも必ず楽しいプレイをするのは対戦台では不可能に近い。

だからある程度、我慢は必要だ。
でも、自分の考え方を変えれば、その我慢すら楽しくできる。
待ちやハメをただの行動の方向性だと認識する。負けたほうが弱いのだと割り切る。
その上で、自分の気に入らない戦法に出会した時に、自分の行動をよく考えてプレイする。

気に入らないプレイをいかに打破するか、よく考えてプレイする。

そうすれば、より楽しくプレイできる。
ついでに、自分の成長をより感じられる。「努力する事」という楽しみを感じられる。

別に、覚悟が無い人が間違っているとは言わない。
でも、覚悟(なんか大げさかな(^^;)を決める・・というか、
それなりの心構えがあったほうが楽しめます。

自分が楽しみたいのならば、相手のスタイルを否定し、自分に合わせさせるのではなく、
自ら楽しむための努力、心構えを絶やさないようにする。また、そう自分を変える。

そうするべきだと思う。
そして、そのほうがより現実的に可能だと思う。

ハメ待ちに対して文句を言って、本当にプレイが楽しくなりますか。
一時の感情のハケ口を相手に言っても、また仮にそれで相手が戦法を改めたとしても、
待ちハメに遭遇する可能性は消えないんです。


(B.Dさんのご意見)

>ゲーセンでのコミュニケーション
一昔前までは”テーブル筐体”が主流でして、当時流行ってたスト2ダッシュの対戦時には
相手の顔がはっきりと見える。
だから当時は非常に”ゲーセン友達”が出来やすかった。
ちょうど俺が予備校生の時でして、予備校近くの30円ゲーセン(今は50円ゲーセン)で
連日授業サボってスト2三昧。

で、ある日俺がバイソンでやってると相手がサガットで乱入してきた。
相手の顔はいかにも”予備校生”という感じの人。
試合展開はダイヤグラムどうりサガット有利に進んでいたのだが、
俺の「下タイガー相打ち狙いダッシュストレート」で
相手は「ピヨリ」、そこから「J大P>立ち小K>ダッシュアッパー*2」をかまして試合終了。

当時はまだ公表されていなかった「ダッシュアッパーダブル(確かそんな名前)」を見て相手は驚き、こちらへ話しかけてきた。
「今の技どうやんの?」
そこから話は広がり、その人とは良いゲーセン友達となった。

テーブル筐体で向かい合い、お互いの顔を見合わしながらの闘いなので、
僅差で良い試合をした相手とは、よく知り合いになれる。
当時ゲーセンで知り合った友達は10人くらいいた。
ほとんどが予備校生なのだが、学科が違うので学校ではほとんど会えず、
授業後ゲーセンに行けば必ず誰かと会えて、対戦が出来る。
こういう事はテーブル筐体だからなせる技のような気がします。

今の筐体は相手の顔が見えないからなかなかそういうきっかけが少ない。
確かに顔が見えると相手によっては喧嘩になりやすかったりするので、今の方が治安は良いと思う
だがしかしそれと同時にコミュニケーションの場も失ったのも事実だと思う。


(極月さんのご意見)

>私自身が待ちハメを使わないのは、
私は、こうやってハメと待ちを一緒にされるのが一番理不尽なんですが。
私はハメはゲームになってないので(当て投げはハメじゃ無いよ、無限とか)嫌いですが、
待ちはとても好きなんですが。だから一緒にされるととても嫌な気分。
貴方にとっては両方似た様なもんなんでしょうか?
私にとっては165°くらい違います。

待ちの面白さは、じゃんけんで言えば
「こいついつもグー出すよな、ぱーだそ、ほらやっぱり」って感覚です。
面白そうな気がしません?

だから、だだ「そんなんで面白いか?」って聞くんじゃなくて、「どの瞬間が楽しいの?」
って聞いた方が良いんじゃないですかね。大概の奴は面白いからやってるので「面白いか?」
って聞かれても、そりゃ「面白いよ。」って答えるしかないですよ。

今日私は超待ちナッシュと闘いました。
ソニックとサマソ、ちかづいたらPKソニック。牽制中足。
無敵対空の無いキャラがこけた時のみ飛び込み、PKソニック。
飛び道具にはソニックブレイク、時々ジャスティス。必ずLV1。
使った技はこれだけです。
凄かったです。ジャンプは必ずサマソで落されます。もちろん空中ガード不可のタイミングで。

私はこれに超待ち改で対応。
出だしで優性を取ったが最後間合いを離して、ソニック来たら垂直ジャンプ。
前に進むと溜めが消えるので相手はソニック撃つしかない。撃ったら飛びますよ私は。
そして私は数発攻撃を当て更に優勢になりまた間合いを離す。

挑発で精神的優位も狙いたいのだがかりんの挑発は実践的レベルではない為、
地震を起こして牽制。
(画面がスクロールするぎりぎりの間合いでレバーを左右に高速入力、懐かしい)
でも負けました。3人くらいで立ち代わり闘いましたが14勝くらいされました。

豪気使いの兄ちゃんは怒り狂ってました。
でも私はすっごい面白かったですよ。待ち合い。だんだん優位になってもうちょっとで勝てそうだったし。

で、突然やってきた特攻Xismチュンリー使いに負けて帰ってしまってげんなりでした。
その後場所を変えてやってたんですが、やっぱり一番面白かったのはあのナッシュでしたね。
ドリルしまくりの超攻めダルシムより面白かった。


<何を以て「上手い」と呼ぶのか、「強い」と呼ぶのか?>

(レオンさんのご意見)

ちょっと疑問
とりあえず、挌闘ゲームについてなんですけどね

上手いって何を基準に皆さんいってますか?

強いっていうのも、何を基準にいっているんでしょうか?

俺の場合、上手いも強いも最終的には同じもんだと思っています。
何かが上手いから、負けない。

相手の手を全て返しきるほどに待ち方が上手いとか、
攻めの選択肢が豊富で相手に対処させないくらい攻めが上手いとか…
そういう人って、やっぱり強いといえると思うんです。
逆に強い人って、なにかしら相手よりも優位なものがあるから、
負けずにいられるんだと思います。

上手いだけでいいんだったら、連勝なんてしなくともいいのか。
負けても、悔しいとか思わずにすむんだろうなあ…
考え方、変えようかのう。


(JOKERさんのご意見)

●上手い、強い
俺はいろんな事が上手い人が本当に上手い人だと思っています
(技術だけじゃなく)何かが上手いじゃ本当に上手いとは言えないと思っています。
「本当に上手い」人は「強さ」を兼ね備えていると思いますが、
「強い」人の中には「本当の上手さ」を備えていない人がいると思います。

例えばリーチが長く早い小攻撃からゲージを半分持っていける連続技があって
それだけを完璧にこなせる人がいてとにかくそれしか使わない(使えない)、
小攻撃が入る状況をずっと待ち必ずその連続技しか使わずに連勝する。

この場合。連続技が完璧、ガードが固いという点のみは上手いと思います。
そしてその人は連勝しているのですから「強い」のでしょう。
でも、その連続技に使わない技は出せないってのはそのキャラをつかってて
「本当に上手い」とは言えないと思うのですが。
そんな感じです。

●皆さんに質問
そんじゃ、お返しに質問です、他のみなさんも意見を聞かせてください。
「勝つ」ことと「負けない」ことは同じと思いますか?それとも違うと思いますか?そしてその理由は?
俺は相手を納得させて倒すことができた時が「勝つ」ことができた時でそれ以外は全て「負けなかっただけ」だと思っています。


(お猿さんのご意見)

かっこいい待ち
待ちのカッコ良さって攻め手の腕に依存するんじゃないでしょうか?
物凄く上手い相手の攻撃を全て捌ききってその後生まれる一瞬の隙に攻撃を叩き込む。
これって結構かっこいいと思うんですが、実際そこまで上手い人ってあまり居ないですしね。
しゃがみ強Pで落とされてもまた馬鹿みたいに飛び込むような人相手だと、
当然ながらそれ以外の行動をとる必要が無く、傍から見ると一見カッコ悪く見える。
これって相手の所為ですよね。
攻める側がいろいろ攻め方を工夫すれば、守る側の対応も変わってくるはず。

ただ今のゲームってあまり守る側が考えなくてもいいものが多いです。
昇竜拳持っているキャラは相手が飛んだらそれさえ出せば良くなっている。
通常技で落とすキャラはもっといろいろ考えないといけないのに。

JOKERさんへ
●上手い、強い
「本当の」って言葉が人それぞれなので難しいですよね。
例えば昇竜拳を極めた人。対空はおろか対地においても完全に使いこなす人。
この人の上手い部分は読みだけだろうけど、昇竜拳を愛する人にとってはそれが一番上手い事になるのかなあ?
僕自身はJOKERさんと同じような考えですけど。人とは違う事もやってみたいので。

●「勝つ」ことと「負けない」こと
本音の意見ではないけれど、「すべての人に負けない事=勝つ事」なんてのはどうですか?
頂点に立ったとき初めて勝ったのであり、その過程は全て負けなかっただけ。

格ゲーでなら、相手のコマンドミスで勝った時は「負けなかっただけ」と思います。


(B.Dさんのご意見)

>「勝つ」ことと「負けない」ことは同じと思いますか?
少なくとも俺は「違う」と思います。

「勝つ」というのは表面的な「結果」です。
どんなに苦しくて一方的に押されている勝負をしていて、「負け」をほとんど確信してても、
一発逆転でも卑怯な手を使っても結果的に勝利を得ることが出来たならそれは「勝つ」という事です。

「負けない」というのは心理的な「言い訳」です。
自分の実力を出し切れなかったり、自分に対して不都合なハプニングが起こったりした結果、
負けてしまっても、心の中では「負けてない」というだけのことです。

めちゃめちゃ優勢に戦っていて、最後の最後で逆転されたら
「俺はまだ負けちゃいない」と思いたくなります。

しかしそれはあくまで「心理上」の話で、結果としては「負けている」わけです。
「負けた事実を認めたくない」又は「俺はまだまだ本気だしちゃいないぜ」って言う心の現われだと思う。
心理的に自分の中で「負け」を認めなければ「負ける」ということはありえません。
ただ単に「負けを認めるのを恐れているだけ」かもしれませんけど。

勝負は基本的に「勝つ」か「負ける」しかありません。(たまに引き分けがありますけど)
「勝つ」事は現実には出来ますが、「負けない」という事を現実で表そうとすれば「勝ち続ける」しかありません。


(スライムさんのご意見)

>上手い強い
私の認識では
上手い人-必殺技をとちらない、連続技をはずさない人。
強い人-対戦でよく連勝する人。
なので、必ずしも上手い=強いではないです。
ゲイザーコマンドが出せない(出さないではない)のになぜか30連勝、とかですね。
いまだに右向きだと昇竜コマンドいれにくいし。

(しょいこさんのご意見)

>上手い強い
私にはかなり難しい話です。大会で優勝したり全国大会に出たりする人だからといって、
ゲーセンで連勝しまくるわけではないですし。
そういう人を「勝負強い」「プレッシャーに強い」と別の言葉を使うのも何か違いますし。
反撃確定の技にきちんと反撃するから上手いといえる訳でもないでしょう、おそらく。
よろけたり技をガードした時必ずPPPを出す人は返し技になる時もありますが上手いとは
言いにくいでしょうし。個人によって受け方が違うからかもしれませんが。

私はとりあえず、「技術的にすばらしい事をする」のが上手いでしょうか。「強い」は難しい。
「勝利に結びつき易い」から強い、というとこですか。違うかな?やっぱり。

うーん、少なくとも
「自分がやられて嫌な事を人にやっておいて、いざ自分がやられたら怒る」
ようにはしないようにしています。

ただ、この事はかなり私自身のみの問題になりますね。
いわば、「君が待つなら私が待っても文句はないよな?」みたいなものですし。
相手に合わすという方法ですか(そういうとは限りませんが)…

ただ、自分が他人に常にしている事を他人にやられて怒るのはやはり間違ってるように思う。
怒るという事は自分がやられて欲しくない事なわけでしょうし。相手にやられて自分がやってきた事に
気付く事もあるでしょうし…
後は直接的な行動は避けます。睨むとか、手を上げるとか。心で思うには問題はなさそうですしね。


(天京院 静さんのご意見)

>上手い って何を基準に皆さんいってますか?
負けても、「もう1度戦いたい」と思える人。
だから、レオンさん相手に連コインする人は、レオンさんのことを
上手だ、と思っているんじゃないでしょうか?
↑これは、私的感想。

>強い っていうのも、何を基準にいっているんでしょうか?
圧倒的に勝ちつづける人。で、負けたとき(私が)になんか釈然としない人。
もう1回戦いたいと思わない人。

タイガーマスクじゃないけれど、
「強い人が上手いんじゃなくて、上手い人は結果として強い。」
んだと思います。「こいつ、強ぇ〜よ」って私的には悪口。
どうせなら、「上手く」なりたいし、そう言われても見たい。
(道はまだまだ遠いけど)


(レオンさんのご意見)
→JOKERさんへ
勝つことと負けないこと、ですか。俺は違うと思います。
負けないってのは、引き分けも含まれるでしょう?
勝つことって言葉には、引き分けはない。それだけです。

(極月さんのご意見)

JOKERさんへ
>「勝つ」ことと「負けない」ことは同じと思いますか?それとも違うと思いますか?そしてその理由は?
違います。「殺す」「生き延びる」が違うのと同じです。
ゲームをやらなくても「負けない」には含まれます。
ゲームの場合「一発当てて逃げ回り」をやってても勝ちになってお得ですね。

(天京院 静さんのご意見)

アテナげ(古ネタ)
ってスト2でほぼ回避不能のハメだったので、
無意識のうちに嫌悪感を持ってしまう人もいるでしょう。

以降のゲームってなんだかんだで対策あるみたいだし。

当て投げに対する対戦経験値が低いことも(当て投げが嫌われる)原因の1つではないでしょうか?
かくいう私も対戦中には完全に忘れてまして、1回くらって「ああっ」とかいう感じで
対策に走ります(小足連打とか)。


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