名古屋 13日。




こう聞いた時からそれとなく予想は出来ていました。
が、そんな自分の勘は、こんなとき位は外れて欲しいと、
何度願ったことでしょうか。





神さま。
確かに私は某会社を諸事情により退職した後、就職活動はもとより
アルバイト探しにも熱を入れませんでした
これもそれも、全て
「ここで仕事が決まっちゃって、下手するとwyseのライブへ行けなくなるじゃない!」との
自分勝手極まる理由からです。

怠けていたことは認めます





神さま。
私の母はいつもこう言います。
「結婚資金を貯めないといけないんだから、バイトでも何でもいいから早く働きなさい!」と。
本当にその通りだと、私も実感はしております。
解っています。働かなくてはいけないことを。
働かなくてはお金がなくなる。そうすると結婚資金うんぬんよりも
ライブに行くお金が無くなる

本当に解ってはいます。働かなくてはいけないことを





しかしながら神さま。
ヘルニアで退職を余儀なくされたこの私は、
このライブだけが楽しみだったのです。




新曲満載のフルアルバム発売直後。

待ちに待ったメジャーデビュー直後。

チケットの整理番号はA39番





こんなに良い条件ばかりだされて、行かないわけにはいかない
何としてでも行きたい!!!
こう思うのは当然のことだと、ファンなら誰しも共感してくれることでしょう。
何としてでも行きたい!!!
そう思っただけです。





あぁ、神さま。
そんな一途なファンの思いを、納得はしてくれなかったのでしょうか。



あぁ、神さま。
私が犯した罪とは、それほどまでに大きいものだったのでしょうか。
就職活動や、アルバイト探しをサボったことは、それほどまでのだったのでしょうか。



あぁ、神さま。
こんなにも辛く厳しい枷を、私に与えるとでも仰るのでしょうか。




あぁ、神さま。




私に。
この私に…






ジャンヌwyse量りに掛けろとでも仰るのでしょうか。















2002年4月14日。
ジャンヌとwyseの東京公演が重なりました(爆)。














私の瞳から流れ出したSalt waterは
仄かに赤いです。ブラッディです。血が混じっています。





マジ泣きてぇー!!!!!!!!






でもね。
量りに掛けるまでもなく、行き先は決まっているんです。






私は彼らと出逢ったからこそ、音楽に興味を持った。
音楽に興味を持ったからこそ、wyseとも出逢うことが出来た。
そう、彼らと出逢いがあったからこそ、wyseとの出逢いがあった。

そういう意味合いがあって、私の中では1番がジャンヌなのです。





約8ヶ月にも渡る地下活動
封印された全国ツアー。
鬱憤が堪るファン心理を、全て相殺させ、充実させる。
そんなライブになるはず。


そして、何よりも。




もうチケットのFANクラブ先行予約の申し込み、済ませてしまった(爆)






もう少しwyseのライブ日程発表が早ければ…
もしくは、先行予約開始がもう少し遅ければ、
私の決意も50:50で揺らいだに違いありません。
しかし、済んでしまったものは仕方がない(泣)








あぁ、でも、だがしかし…っ







2001年12月28日、アンコールに応えてくれたヨコりんは、
ステージに姿を現すと、観客にこう叫びました。


「wyseの人、手ぇ挙げてー!!!!!!!」





手、挙げました。思いっきり
ハーマイオニーだってここまで一生懸命手ぇ挙げたことはないだろうってくらい、
己の手を引きちぎらん勢いで。





そう、私達ファンは、wyseのメンバー。
wyseのメンバーである私が、
wyseのライブに行けないだなんてっ!!!









もう泣いて過ごすしかありません。
これより半年ぐらいは瞳に暗い影を潜めながら生きていくことでしょう。
虚ろな瞳をした歩道橋から見つめる明日の運勢は真っ暗です。




wyseファン…いや、wyseメンバーの皆さん。
どうか、私の分まで楽しんで来てください(泣)。











余談。
めっちゃ落ち込みまくる私をそっと慰めるかの如く、
ライブ終演後に購入したフォトセットのおまけは拓磨でした。
最年少酒好きベーシスト贔屓の私にとってはちょっと嬉しい出来事。




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