短編作品 『ノクターン』 〜第2楽章〜





ある晴れた土曜日の午後、僕は街で彼を見かけた。


通り過ぎる風が、初夏の気配を運んでくる穏やかな午後だというのに、彼は相変わらず黒いコートを着て、強い陽射しを遮るサングラスをかけている。


彼は歩道橋の上を歩いていた。
肩にかかるかというくらいの長髪を風になびかせて、彼は足早に歩いて行く。そして、歩道橋を渡り終わると、その姿は瞬く間に人ごみに紛れて消えてしまった。


気がつくと、僕は無意識のうちに彼を追いかけて、走り出していた。
追いかけて、見つけたとして、いったいどうしようというのか?自分でもわからない。声をかけるか?何と言って?


・・・・それでも僕は、彼を見失った場所に向かって、全力で走っていた。しかし、雑踏の中で一度見失ってしまった彼を、再び見つけることは容易いことではない。


”いったい何をしているんだ、僕は・・・・”


諦めて戻ろうと、肩で息をしながら踵を返した瞬間、目の前に彼の姿があった。


「私を、お探しかな。」

「あ・・・・」


彼の、恐ろしいほどに端正な顔が、僕の真正面にあった。彼の息遣いさえ感じられる距離。彼の息は、サンダルウッドの香りがした。


ふと我に帰ると、彼の姿は影も形もない。僕は往来の真ん中に立ち尽くし、人の流れを妨げていた。誰かが小さく舌打ちしながら、僕の肩にぶつかって通り過ぎていく。


その夜、彼はバーに現れなかった。