短編作品 『ノクターン』 〜第10楽章〜





自分の身に何が起きているのか、理解していると言ったら、それは嘘になる。


彼が僕に何を求めているのか?彼の話の、どこまでが真実なのか?
今までの人生を捨てて、そのうえ未来まで犠牲にして、僕は何をしようとしているのか?・・・・何もかも、訳のわからないことばかりだった。


にもかかわらず、自分でも驚くほど急速に、僕は屋敷での生活に慣れていった。


それは、僕の予想を裏切って、快適なものだった。何よりも、ここは僕の居るべき場所なのだという、奇妙な安心感があった。
仕事のこと、家族や、友達や、恋人のこと・・・・”あちら側” のことが頭をよぎることは、ほとんどなかった。それらはもはや、僕という存在から遠く切り離され、隔絶された領域に属するものになっていた。
僕は直感的に、ここにとどまるべきであることを感じていた。そして、それ以外に方法はないのだということも。


こうして、屋敷の住人は三人になった。
主のルイド。家事を任されている少女シクラ。そして、僕。


「シクラは、番人の世話係として働くことを条件に、この屋敷に住み付いている・・・・幽霊みたいなものだ。」

そう言われると、シクラはひどく憤慨して、その日は一日中機嫌が悪かった。何を混ぜたのか知らないが、どろどろとした薄気味の悪いスープが食卓に並び、僕とルイドを閉口させた。


「シクラを怒らせると、怖いぞ。憶えておけ。」
ダイニングテーブルの向こう側から、彼が片目をつぶって囁いた。


新月の夜になると、彼は森へ出かけていく。そして、弱々しい朝日が昇り始める頃、ようやく屋敷に戻ってきて、そのまま寝室に倒れこんだかと思うと、それから二日間、眠り通した。
シクラの話によれば、それは、彼がここへやって来て以来、毎月繰り返されていることだという。確かに、きっかり二日間昏々と眠りつづけた三日目の朝、彼は何事もなかったかのように、僕達の前に姿を現した。瞳には翳りひとつなく、僕は安堵の胸をなでおろした。


エントランスに置かれた大きな柱時計は、乱れることなく、規則正しいリズムで時を刻んでいる。そして、毎日はゆっくりと過ぎていった。静かで、穏やかな日々だった。


こうして僕は、この屋敷の住人になっていった。