短編作品 『ノクターン』 〜第9楽章〜





僕は、彼の言葉を、何度も何度も頭の中で反芻した。


僕が、彼の後継者?僕が?僕が、死者の森の番人?何だそれは?何の話だ?
僕は、普通の人間だ。僕はバーテンダーで、シェーカーを振り、酒を作るのが仕事だ。死者を導くのは・・・・そんな仕事が本当にあるのかどうかもしらないが、とにかくそれは、僕の仕事ではない。そんなこと、僕には出来ない。出来るわけがない。


「もし、僕が嫌だと言ったら、どうしますか?」

「・・・・言わないよ。君は、そんなこと。」

「あなたの言う ”あちら側” に、戻りたいと言ったら?」

「戻りたいか?」

「・・・・」

「もう、戻れない。」

「・・・・戻れない?」

「戻れない。そんなこと、君だって気付いていただろう?」


彼は、心の底まで見通すような、静かな眼差しを僕に向けている。
僕の思考は、意識の奥底へと向かって緩やかに下降していく。そして僕は、その一番深いところにある、暗い澱みに向けて手を差し伸べる。指先が、何かに触れる感触が、ある。


戻れない・・・・もう、戻れない・・・・そう、僕は気付いていたのかもしれない。


それは、夜気に包まれた彼が店に現れた瞬間だっただろうか。彼を追って階段を駆け上がった瞬間だっただろうか。いや、もっと以前のことだ。もっと、もっと・・・・それはもしかしたら、はじめて彼に出逢ったときだったかもしれない。


・・・・そう、その瞬間、僕は気付いていたのだ。


この男は、いずれ僕の人生に、深く関わってくるであろう。いつの日か、僕は、二度と引き返せない場所に、足を踏み入れることになるかもしれない。
そして、もしも、すべての人間に、運命などというものが用意されているとしたら、僕の運命は、間違いなくこの男が握っているのだ。


予感。予測。


根拠などあろうはずもなかった。にもかかわらず、揺るぎ無いない何かがそこにあると、その時、僕は確信してはいなかったか?だからこそ、彼の後を追うようにして、こんな場所にまで、やって来たのではなかったか?
あの時、僕の本能が、二度と彼を見失ってはならないと、告げていたのではなかったか?その声を、確かに聞いたのではなかったか?


そして今、その予感は現実のものへと姿を変えようとしている。僕の遺伝子に刻まれた未来の記憶が、今、僕の手元に手繰り寄せられようとしていた。


「僕は・・・・どうしたらいいのですか?」


シクラがコーヒーを運んできた。ルイドは、黙り込んでいる。
昼なお暗い窓の外を、烏の影が過ぎていった。