短編作品 『ノクターン』 〜第4楽章〜





彼は、少し俯き加減に視線を落としたまま、足早に歩いていく。まるで、僕のことなど忘れてしまったかのように、後ろを歩く僕を振り向きもしない。
霧は、ますます深くなる。僕は、彼を見失わぬよう、歩みを速めた。


どのくらい歩いただろうか。


石畳の街を抜けると、鬱蒼とした暗い森が、まるで不吉なものの影のように、目の前に迫っていた。その森の入り口に、一軒の古びた洋館が聳えている。どうやら彼はそこへ向かっているらしい。ずいぶん大きな建物だ。城のようにも見える。


彼は、蔦の絡まる錆付いた門扉を押し開けると、荒れ果てた庭を抜けていく。草木が繁茂するその庭は、もはやちょっとした林といってもよかった。彼は、両脇から押し寄せる枝葉を、時折、指先であしらいながら、石畳の小路を辿ってゆく。


水の枯れた噴水の、その崩れかけた石の陰から、烏が数羽、ばたばたと喧しく飛び立ち、森の方に飛んでいったかと思うと、あたりは再び静寂に閉ざされた。


そして、次にその静寂を破ったのは、彼だった。
ようやく辿り着いた入り口の、その真鍮のドアノブに手を掛けたまま、彼はようやく僕を振り返り、言った。


「本当に、ついてきたな。」


僕は答える代わりに、真っ直ぐに彼を見据えた。彼の口元が微かに微笑んでいる。


「さぁ、どうぞ。」


人の背丈の二倍はあろうかという大きなドアは、不自然なくらい静かに、音もなく開いた。


彼に促されるまま、僕は邸内に足を踏み入れる。次は何が起きるのか?と、思わず体を硬くして身構えたが、別に何も起こりはしなかった。
薄暗いエントランスに人の気配はなく、ひんやりとした重い空気が、足元から背中へ、肩先へと這い登ってくる。僕は思わず身震いした。


「さぁ、中へ。シクラ、明かりを。」


彼がそう声をかけると、高い天井から吊るされたシャンデリアにぼうっと火が灯り、ようやく邸内はうっすらと明るくなった。そして、目の前の緩やかな階段を、燭台を手にした少女がゆっくりと降りてきた。


「ルイド、お帰りなさい・・・・ルイド、この人。」

「シクラ、何か温かい飲み物を。」


シクラと呼ばれた少女は、口にしかけた質問を引っ込めて、今降りてきた階段を急ぎ足であがっていった。


彼は、少女から受け取った燭台を手に、緩やかな階段を上っていく。そして、ふと立ち止まって振り返ると、呆然と立ち竦んでいる僕に向かって小さく頷いた。そのゆらゆらと揺れる灯りが、彼の横顔に仄かな陰影を刻んでいる。
僕はようやく我に返り、慌てて彼の後を追った。


吹き抜けの一階を見下ろす長い廊下。僕は、彼の後ろを恐る恐る歩きながら、いつか映画で観た幽霊屋敷を思い出していた。いくつものドアの前を通り過ぎる。いったいいくつの部屋があるのだろう?


彼が立ち止まる。


「どうぞ。」


僕は彼に促されるまま、その部屋へと、入っていった。