マッサージの語源は、ギリシャ語のマッシー(揉む)または、アラビア語のマス(揉み込む)に、フランス語のアジ(操作する)という語尾が付いた造語とされています。
すでに紀元前四〜五世紀のころ、ギリシアの医聖ヒポクラテスは、「医師たるものは医術についてのあらゆる学理とともに、マッサージも修得せよ」と力説したといわれ、幾つかの論文も発表されました。しかし、その後ながいあいだマッサージの研究は絶え、医療界からも顧られず、民間療法として僅かに余命を保ったにすぎなかったようです。一六世紀後半になって、フランスでマッサージの術式とその効用について詳しく説明する論文が発表されてから新たな脚光を浴び、西洋医学の臨床技術の一部として重要視されるようになりました。さらに一八世紀から一九世紀にかけてスウェーデンのリングが治療体操を提唱し、マッサージとの併用を強調して以来マッサージはドイツ、フランス、オランダ等の諸国に普及するに至りました。その後ヨーロッパ諸国におけるマッサージ研究は年を追って盛んとなり、学理の研究とともに術式の改善にもつとめ、臨床応用の新しい分野を内科、外科、整形外科と開拓し、近代医療マッサージの体系を確立しました。
マッサージが日本に入ったのは明治二十年代のことです。当時日本の各地には私立の訓盲施設や小規模な盲学校があり、東京には国立の東京盲唖学校があって、盲人の職業教育の一環として日本古来の按摩術が指導されていました。マッサージの輸入によって按摩術は大きな影響を受け、当時の業界の指導者は、こぞってマッサージの学理と実技の研修に努め、古来の按摩法とマッサージを総合し、ヨーロッパには見られなかった日本独特の手技を作り上げました。外科や整形外科領域におけるマッサージの治療効果が明らかになるにしたがい、全国各地の医科大学付属病院や総合病院が競ってマッサージ師を採用するようになりましたが、その供給源の大部分が盲学校・盲人養成施設であった当時の事情から、現在でも医療マッサージの専門技術者には盲学校出身の関係者が多いようです。
医療機関で医療の一部として臨床に応用されるようになると、一般の関心も高まり、マッサージの需要は増すようになりました。個人で施術所を経営する人々も「按摩」「マッサージ」を標榜するようになり、次第にマッサージは治療技術として臨床の面で、古来の按摩術は疲れを除き健康を増進するという面で、活用されるようになってきました。しかし現在では、按摩術、マッサージは、各々その長を採り短を捨て、東西両医学の接点に立って、その枠を取り、総合されて臨床に応用されているというのが妥当なことばと言えるでしょう。
参考文献
芹澤勝助 著 「マッサージ・指圧法の実際」
和久田哲二 著 「手技療法『日本按摩療法』」
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